少し、間が空いてしまいました。
家族のこと、日々のことに追われながら、
なかなか言葉にできずにいた時間でもありました。
今日は、
つむぎ学占いを学ぶ中で、あとから深く腑に落ちた出来事について
書いてみようと思います。
◆ 中年期、「支配的な立場に立つ」という結果
つむぎ学で母の人生の流れを見たとき、
中年期の項目に出てきたのは
**「支配的」「采配を振るう立場」**という言葉でした。
正直、そのときは
「まあ、そういうところはあったかな」
くらいの感覚でした。
けれど振り返ってみると、
母は実家の中で、まさに“決定権を持つ人”でした。
家のこと、親戚づきあい、
そして――
私の結婚相手のことまでも。
本人は「良かれと思って」だったのでしょう。
でも当時の私は、
自分の人生なのに、自分で選ばせてもらえない
そんな息苦しさを感じていました。
あの頃の母は、
強く、判断力があり、
周囲を動かす力を持っていたのです。
◆ 老年期、「子供に帰る」という結果
そして、つむぎ学の老年期。
そこに書かれていたのは、
「子供に帰る」「庇護される側になる」
という流れでした。
その言葉を、
私はずっと心のどこかに置いたままにしていました。
いま、母は認知症になり、
日常の多くを
自分ひとりの判断では決められなくなっています。
かつて、
あれほど強く、
あれほど人の人生を動かしていた人が。
◆ 占いは、未来を当てるものではなかった
この結果を見たとき、
私は「当たった」とは思いませんでした。
代わりに、
「ああ、人生って、こういう巡り方をするんだ」
そう思ったのです。
人は、
強くなる時期があり、
弱くなる時期があり、
支える側になる時期があり、
支えられる側になる時期がある。
つむぎ学が教えてくれたのは、
その流れでした。
◆ だから私は、占いを信じすぎない
占いは、
誰かを裁くためのものではありません。
「正しかった」「間違っていた」と
答え合わせをするためのものでもありません。
ただ、
人生には流れがあること
役割はずっと同じではないこと
それを、そっと教えてくれるもの。
母の人生を見て、
私はそれを深く感じました。
◆ 最後に
いま、母は
かつてのように指示を出すことはできません。
でも、
子供のように笑ったり、
安心した表情を見せる瞬間があります。
それを見て思うのです。
人生は、強さだけでできているわけではない。
弱くなる時間も、ちゃんと意味を持っている。
つむぎ学占いは、
そんなことを
静かに教えてくれました。
🌷 マキばあのひとこと
占いは、未来を決めるものではなく、
人生を理解するための“ことば”なのかもしれませんね。
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